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◆3.11
この日は釜石市に行く予定だったが体調が優れず、予定を延期、盛岡市内で仕事をしていた。
午後はガソリンを満タンにして事務所に戻り、事務処理。14:30過ぎには一休みで事務所の人たちと少し談笑。
そして14時46分。盛岡市は震度5強で、立っていられない状態ではなかったが、外の車を見ると前後にすごい揺れ。向かいの木造住宅も目に見えて揺れている。
揺れの途中で即停電し、パソコン使用不可。仕事にならないので何人かは携帯のワンセグを付ける。
宮城県北部で震度7との放送。この段階で尋常でない地震だと気がつく。
宮城県栗原市では数年前にも震度7の地震が起きている。その時は震源が内陸だったが今回は?
続けて、震源は三陸沖との放送。
となると津波が心配。第一波は15:00到達予定、もう15:00だ。
津波の高さは10m?間違っているんじゃないの?にわかにはその数字が理解出来なかった。
一週間くらい前には津波50cmで大騒ぎしていたし、昨年のチリ地震津波でも2~3mだった。10mといわれても・・・。
停電は継続していたが、自宅に戻ってみる事にした。
事務所から30分位の所に自宅があるが、途中の信号は停電で点灯していない。市内方面は渋滞が発生していたが逆方向はそれ程でもない。混んでいる交差点を避けながら自宅に向かう。車のラジオをつけているがしきりに津波注意、避難を呼びかけている。
自宅に到着。家族は全員家に居り、子供たちはテーブルの下に隠れている。無事を確認して一安心。
停電が長引きそうな気がしたので、事務所には戻らない事にする。携帯は既に繋がらないのでメールを送る。
直ぐに近くのコンビニに行き、カップラーメンなど食料を買い込む。コンビも勿論停電だが、発注用の端末のようなものでバーコードを読み取っていた。50人位が店に居たが商品はまだかなり残っていて、これから物不足になるとはこの時には思いもしなかった。
家に戻ると、今度は懐中電灯を探す。家にはLEDの懐中電灯が2つある。後はLED照明の子供のおもちゃをいくつか出しておく。
昨年末に大雪で県北は5日位停電したという事を覚えていたので、今夜は復旧は無いかも、と腹をくくる。
停電なのでテレビはつかない。ラジオは無いので車に戻りラジオを聴く。
相変わらず避難を呼びかけている。
近くに住む両親に電話をしてみるが繋がらない(家のIP電話も繋がらなかった)。近くなので大丈夫だとは思っていたが、連絡したい時に繋がらないのはもどかしい。気が付くと東京の妹からメールが。無事を知らせる返信をすると、更に返信が戻ってくる。妹は親と電話が繋がり無事を確認したとの事。一安心だ。
携帯のツイッターも生きていた。ラジオの状況をつぶやいていたが、だんだん沿岸の状況が伝わってくる。宮古市の閉伊川を波が遡っているとの放送を聞き、親から聞いた昭和チリ地震津波の話を思い出した。曰く、船がかなり上流まで流されていた。少なくとも今回それ以上と確信した。
ツイッターのTLでは仙台空港がすごいとテレビを見た人のツイートが流れる。テレビは見れないが、三陸以外でも被害が出ているのは分かった。
暗くなってきたので家に入り、懐中電灯をセッティング。試行錯誤の上、照明を蛍光灯に向けるとぼやっと明るくなる事に気が付き固定。物置に反射式ストーブをしまっていたので、それを出してくる(電気がないのでFFファンヒーターは使えない)。
一応、照明と暖房の準備はしていた訳だ。おかげで暗い以外は割りと快適だ。
台所のガスも生きていたのでお湯を沸かし、家族でカップラーメンをすする。暗いので家族は早々に就寝。
私は車に戻り情報収集。携帯は車で充電出来るので充電しながらpostを続ける。
ラジオを聴くと岩手で数十人の死者が出ているようだ。思ったより被害は少ないか、と思ったが夜遅く宮城県若林で2~300人が流れ着いたとのニュースを聞きつぶやく気力が萎える。早々に私も床に就く。
それにしても、2週間経ってもこの日の出来事は鮮明に思い出せる。