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盛岡桜山 勝手案(予算はどこから案)
盛岡桜山が騒がしい。
ただ、突然の市の発表から1ヶ月が過ぎ、表面上は冷静さを取り戻しているようではある。ただ、いわばこう着状態で状況は変わっていない。
一方、公園、史跡など大いに市民すべてにかかわる問題なのに、市民にしてみれば情報が少ない状態で、そのせいか全体的な関心も低いように思う。
意見が見えてくるのは商店街とそのお客さん、中心部の方、良し悪しは別にしてツイッターや一部掲示板くらいか。
当事者の地元はその場所から追い出されるかもしれないのに未来像まで頭が回らないのだろう。今のところは署名を集めている段階で商店街ならではの未来像も聞こえてこない。
今のままが一番楽だが、状況はそれを許さない(借地契約期間が切れたらそのまま更新してくれるだろうか?)。とはいえ、衣食足りた段階で文化や未来を語るのだろう。
そうした中、地元住民以外で解決案をブログなどに書く人も現れている。関心を保つ一助となればと私もそれに乗っかろうと思うのだがさて。
解決しなければならない桜山の問題点
とりあえず2つほど勝手案を考えたがまずはひとつ。
桜山商店街が望む現状維持のために乗り越えなければならない壁は以下の通り。
1.史跡である
2.公園である
3.地目が宅地ではなく緑地である。
4.桜山神社所有地の借地契約の期限(50年)が数年後に迫っている。
5.個人所有地の借地契約更新(50年前はここが一番モメた)
6.地主、大家、テナントがすべて違う。
7.テナント、大家の収入(生活)補償の問題。
8.現状第一種住居地域で建蔽率オーバー。
9.建物が既存不適格。
10.防火建物ではない(周りは防火建物)。
11.築50年の建物の耐震性が不安(基礎から直したいところ)。
12.そもそも老朽化(寒い、結露、防音)
13.インフラ(上下水など)の問題。
14.基礎深さの不足(下水あってももおそらく勾配不足でしょう)。
まだありそうだが、思いつくだけあげてみた。土地関連の問題点が全て凝縮されているようだ。
これらを解決するのはどれひとつとして簡単ではない。
御新丸移転案
そこで、商店街を別地に移転してしまおうというのが今回の案である。
とはいっても、遠くに移転した場合、今までのお得意さんを失うのではないか、今の商店街のつながりが無くなるなど商店街側の抵抗が当然あるだろう。
そこで亀ヶ池西側の国合同庁舎と県議会議員会館用地に注目してみた。
合庁、議員会館、駐車場用地を合計すると地図上では桜山地区より広くなる。
ここにビルを建て、商店街の皆さんに移ってもらって、ガイダンス施設やみやげ物店、食堂もここに設置する。
ここだと勘定所ではないから「御新丸風建物」でも「昭和風建物」でも地域のアイデンティティーを主張できる外観にすれば良い。
元々商業地域だから用途地域の変更も不要だし、必要ならば3~5階などの中高層建築も可能ではないだろうか。
更に、建替の場合の仮店舗なども必要ない。
堀も望めるので盛岡城の風情も今までと同じく楽しめる。団体ではなくグループ学習行動が多いという最近の修学旅行生も歩いて訪れやすい。
そして現在の桜山地区は境内地でも緑地でも駐車場でも、構造物のない状態にする事ができるので文化庁も満足でしょう(ところで普段市営駐車場もガラガラだが、市はバスの駐車場が欲しいのだろうか?)。
移転交渉において代替地を用意するのは珍しくはないし、プラザおでってを建築した経験のある盛岡市だ、これくらいのハコモノはお手のものだろう。
御新丸の問題点
もちろんここには耐用年数の長い建物が既に建っている。
国の合同庁舎だが、実は築30年の国合同庁舎2号館は最近増改築工事がほぼ完了したようである。
ただ、築40年の1号館は解体される予定で、市有地と国有地の等価交換で盛岡駅西口区画整理地内に移転工事中だ。空いた土地は駐車場だという。
2号館も15~20年で建替しても良い時期になるのではないだろうか。得意の等価交換で盛岡駅西口に合同庁舎の機能を集約すれば良いのでは?そうなると建物の建築費が必要になるが、これはいずれ更新が必要になる分だ。
県議員会館の竣工年は調べていないのだが、平成19年に改修工事を行っている。残りの耐用年数がどれくらいかは分からないが、数十年先とまではいかないだろう。
県営駐車場はRC造と違い寿命はもっと短いと思われる。
議員会館の移転先だが、岩手医大も矢巾への移転事業を進めており(予定より進捗が早いという)、長期的には付近に土地が空く可能性がある。病院跡地はマンションなどでは忌避される可能性も高いので、公共建物で埋める、というのはそれほど無理のある考えでは無いと思う。
国や県が絡んでくるがいずれは建物の寿命が来るのだし、用途地域の変更(県)、国史跡の指定解除(国)の原則を曲げるよりは実現性が高いと思うのだがいかがだろうか。
問題点は資金が掛かるということと時間が掛かるということ。
ただ、説明会で史跡からの移転は国からの予算が見込めると発言していたし、勘定所風建物を市独自事業で行おうとしているのだ。予算規模でそれほど違いは無いようにも思える。タイミングは難しそうだが。
商店街側にしてみれば、
1.テナントの救済になっても大家の救済にならない(建物の移転補償費は出るだろう)。
2.昭和の風情は無くなる可能性が高い。
といった問題点が残るか。
いずれにせよ早急な解決は難しそうではある。
ただ、早めに方向性を出し、20年くらいかけて権利関係を解決していく必要があるのではないだろうか。60年も先送りしてきたのだから。
なお、この案はあくまで勝手案なので、詰めが甘いところもありますが建設的なご意見、突っ込みをお待ちしています。
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